放光院(茶堂)
開祖 一道貞心禅師  本尊 不動明王と弘法大師

茶堂の由来


茶堂水碑によると、1789年信州稲荷山の一道貞心禅師が諸国巡歴の途、この地を通りかかり、かや、すすきが生い茂り、飲み水もなく追い剥ぎや山賊の住む荒野に旅人が難儀するのを見かねて、この地に庵を建てて旅の便を図ることを発意して、水脈を辿り、庵の前に水を引きお茶を煎じて道行く人々に供したのがその始まりであると伝えられています。
現建物は昭和24年に夜久野町直見の高源寺が廃寺なるに際して移築されたものです

茶堂水碑 

一道貞心禅師が入滅後の17回忌にあたる文政9年4月に夜久野町大油子の東源寺住職石室禅師が貞心禅師の偉業を称えるために、自分の師匠であった阿波興源寺の玉潤大和尚に依頼して建立した碑です。
原文はすべて漢文で書かれており読解するには苦労があるようです。
今は境内に置かれていますが、県道拡幅工事の為茶堂の前にあった物が移築されました。

位置 地図

夜久野高原(東西に約5㎞、南北に約2㎞)の中心に位置しています。 
この地はちょうど丹波、但馬の境に位置し但馬の朝来市山東町、和田山町と丹波の福知山市夜久野町の境にあることから地域を越えた住民同士の繋がりも深く、我が里の寺院としての思い入れが強くあります

伝統行事 大師祭

開祖が一道貞心禅師であることから禅宗寺院に属するが、1865年(慶応元年)に夜久野町今西村の定七と言う人物が弘法大師座像を奉納したことから大師堂とも呼ばれています。
毎年、春と秋に催される大師祭(現在は春のみ)は今でも多くの参拝者で賑わいを見せています。特に無病息災を祈願して催される勇壮な護摩焚きは圧巻です
放光院茶堂境内の石碑と地蔵群