茶堂水碑
水碑原文   
碑文は漢文調で書かれており読解にはかなり苦労があるようです、要約すると次のような事が書かれています。
但馬、丹波の境に広々とした原野があり、夜久野と称されている。東西約10里、民家も有る無しで追剥ぎ、野武士が俳諧し、また水も無く道行く人々を苦しめた。寛政年間、一道貞心禅師が諸国巡歴の途、この地を通りかかり旅人が難儀するのを見かねて、庵を建て自ら労を惜しまず苦難の末、遠く宝山に水源を見つけ、昼夜休まず長い年月をかけて庵に水を引き、茶を煮て旅人に施した。水は日照りにも枯れることなくこんこんと湧き出て、近隣の人々をも潤した。
貞心禅師は信州稲荷山(千曲市)の出身で士族であり、また剣術にも優れていた人だった、この地に住む事10年余り、文化7年5月に亡くなるまで、常日頃の生活は清貧を守り、身をもって苦渋する人の為に尽くした。その功徳を称え、文政9年、貞心禅師十七回忌に夜久野大油子の東源寺石室禅師が自身の師である、阿波興源寺玉潤大和尚に依頼して建立したものです。